Waikiki Surfing Again
先週半ばから約1週間の米国出張。仕事の合間、ウェットスーツを片手にワイキキへ。1年半のブランクを空けてのサーフィンで、久しぶりのパドリングは体に応えたが、波を捉えてボードの上に立つ感覚だけは確かに体が覚えていた。一面に広がる青空のもとでダイヤモンドヘッドを臨みながら波乗りできるワイキキは、僕が初めてサーフィンに挑戦したブルーオーシャン。自分にとっては、“サーフィン思考”誕生の地でもある。このワイキキで波乗りした経験から、僕は「人生に絶え間なく押し寄せるチャンスを波に見立ててサーフする」という思考法を生み出すに至り、以来、日々の生活に取り入れているのである。
今回の久しぶりのサーフィンで、改めて、自身が取り入れているサーフィン思考の深みを体感した。サーフィンは人生に似たり。すなわち、波は人生に押し寄せるチャンスの如し。人生にはいろんな形でチャンスという波が押し寄せている。しかし、人はチャンスという波に乗ろうと焦ってパドリングを始めて逃してしまったり、逆に、チャンスという波が来ない状態が長らく続くとジタバタ動き始めてしまったりすることが多々ある。これでは、波に翻弄されたままで楽しく乗りこなすことができない。ところが、波の基本的な性質を理解していれば、波が来たときも、波が来ないときも、それぞれ味わい深く楽しむことができるのである。
サーフィンを通じて僕が学んだ波の性質は、殆どそのままチャンスの性質に置き換えて見ることができる。波は3回ワンセットでやってくる。セットが連続することもあるし、セットの間隔が開くこともあるが、波は必ずまたやってくる。そして、一つとして同じ波はない。このチャンスという波の性質を心に留めつつ、人生に絶え間なく押し寄せてくるチャンスを波に見立ててサーフするという思考法を取り入れると、僕の日常生活は毎日が波乗りとなった。波がやってきたときには、「このセットに賭けて攻める」または「次のセットまで見据えつつ波を吟味して乗る」。波が来ないときには、「沖で静を楽しみながら待機する」または「陸に上がって休憩する」。
サーフィン思考がもたらす最大の変化は、どんな状況でも人生に楽しみを見出す生き方になることである。チャンスという波が来るときも来ないときも、それぞれの楽しみ方で人生を味わい深く堪能するようになる。言わずもがな、その生き方は比較不能にリッチである。一つ一つの波を確実にモノにするのも良いし、自分の理想の波を狙い撃つのも粋だと思う。それに、遅かれ早かれ波は必ずやってくるのだから、ボードにまたがって悠然と構え、景色・空気・音色を楽しむが如く静の時間を堪能するのも味わい深い。今日はどんな波が来ているだろうか。窓を開けてチャンスの波を感じることから僕の一日が始まる。サーフボードを片手に人生のワイキキビーチへGo! Go! Go!